冷えとり生活を始めてから、夏、秋、冬と3シーズンを迎えました。
その間に、急激な激しい頭痛と肩こり、背中痛、情緒不安、不正出血、3週間にも及ぶ胃痛も経験し、
そして今回、正月過ぎに実家帰省から帰って来た途端、激しい喉の痛みと頭痛と目が痛くて開けていられない状況&鼻水と高熱が続き、1週間も寝込んでしまいました。
風邪なのか?冷えとり生活でのめんげんなのか?…どっちなんだろう?
体が辛くて食事ができなかったので、…気がつけば、体重が40㎏に!!
冷えとり生活をしていたら必ず経験する「めんげん」
靴下を重ね履きして「冷えとり生活」を始めると、こんな風に、色々なからだの不調や心の不和などを必ず誰もが経験する、と言われています。
こういう体から溜まった毒素を排出しようとする際に、一時的に症状が悪化したように見えたり、体に溜まった毒が体の表に出てくることを、瞑眩(めんげん)と言います。
体が良い方へ傾こうと来る時の反応で、一般的には「好転反応」と言われます。
なので、こういう反応が出ている時は、重ね履き靴下を増量して、できるだけ半身浴を心がけて、薬はできるだけ排毒を妨げるので、使わないようにするのが望ましいのですが…。
体が辛いので、やっぱり、いろいろと頭の中で考えちゃうんですよね。
どこからどこまでが病気の「風邪」で、どこからどこまでが「めんげん」なのだろうか?とか。
病気とめんげんとの違いって?
"Antic Hay" Photo by Sinéad McKeown
冷えとり生活をしている人は、「出るものすべては、めんげん」と、言われていたりするのもよく聞きます。
でも、本当に、体や心に出てくる不快な症状を、すべて「めんげん」と一言で片付けてしまって、本当にいいのだろうか?とか、不安になることがよくありました。
でも、あることに気がついたんです!
よくよく考えてみれば、病気も「あなた、ちょっと最近、お腹冷やし過ぎですよ」とか、「度重なる疲労とストレスを、こんなになるまで、今まで沢山見過ごしてきたでしょう」と、
今までの不摂生で、溜まった毒素が外にでることによって、生じる体の反応やサインが症状として出ているもの。
めんげんも、今までの自分の体の不摂生で溜めた毒素が排出されて、そういう症状として現れている。
どちらも同じじゃないか!と。
ただ、病気とめんげんとの違いは、「自分で意図的(意識的)に、毒素排出を促しているかどうか?」なんです。
勿論、「意図的に」と言っても、「今回は鼻水で出してやろう!」と、部位が指定できるわけではありませんし、自分の体にそんな毒素が、どうして溜まったか?思い当たる時もあれば、謎な時もあります。
でも、少なくとも、「冷えとり生活をしている」という時点で、
「体に溜まった毒素をデトックスしよう」と前向きになっているし、
寝込む事もボロボロに日もあるかも…と、ぼんやりとではあるけれど、毒素が出た時に、体調不良に陥る覚悟はできていたりします。
日々、「排毒に向けて生活している」という意識があるので、体調不良に見舞われても、(騙されているわけじゃなくって)自然に、「めんげんだ」と思えてしまうんですよね。
そういう意識でいると、鼻がもげそうな程のくしゃみや鼻水に襲われても、「ま、何日か寝れば自然に治るから」と思えるから不思議。
めんげんが出た時の過ごし方は?
Ceguera Photo by Vivi Calderón
今までだったら、風邪をひけば市販の薬を飲んで、休む事無く普通の日常を送っていました。
熱が出ていても、「スケジュールに穴は空けたくない」思いばかりが先走って、「ああ、もうなんでこんな時に体調が悪くなるんだろう?!」と苛立ってみたりしていました。
冷えとりで何回かめんげんを体験してからだと、「きっと自己治癒力でなんとかなる」と思えて、
薬を飲むよりも、早く仕事を切り上げて、暖かいお布団に入って体を休ませてあげる事に心を向けたりするようになりました。
体が辛すぎて食べられない時は、「食べ物を消化するために使うエネルギーを節約して、体のバランスを取ろうと、わたしの体が頑張ってくれているんだ!」と考えたり。
「きっと、自分の体の自己治癒力がなんとかしてくれるはず」と、自分の体のチカラを信頼して、楽観的に体調不良を捉えられるようになりました。
それは、「体の健康」に限らず、生活の中でも、物事を考えるとき、すぐに深刻になって不安になるのではなく、「なんとかなるさ」とフッと軽く思えるようになりました。
病気やめんげん、あるいは人生の辛いシーンも、こんなふうに自分を労り、楽観的に過ごす事が、一番自分の体や心のチカラを引き出してくれるのかも。