「食べない人たち」の本を読んでから、秋山佳胤弁護士にいつかお会いしたい!と思っていました。

「講演会に行けたらいいなぁ」なんて思っていたら、先日、ちょうど秋山弁護士の講演会があることを知り、参加してきました。

「誰とも争わない生き方」とは?

今回の講演会は秋山弁護士の本、「誰とも争わない生き方 人生にも魂にも善悪はない」という本に基づいたお話でした。

誰とも争わないということは、自分とも争わないということ。

自分とも争わないということは、たとえば、ダイエット中の女性が「ああ、今日も甘いものを食べてしまった。」と罪悪感を持ってしまったり。

あるいは添加物いっぱいの食事だったからといって、「毒を食べてしまった」というように、自分を「悪いことをしてしまった」と責めてはいけない。

たとえ、その食べ物が添加物バリバリだったとしても、毒だなんて思って食べたらもったいない。

どんなものも「愛」でできているんです。

添加物なんて浄化できるんですよ。

口に入れる瞬間、「光になるんだ」と思ったら、そうなるんです。すべてエネルギーなんです。

食べたいものを食べたいだけ食べたほうがパワフルになるし、幸せになるし、命も喜び、報われる。

自分とも争わないということは、どんな自分でも受け入れること。

それが、自分を自由にしてくれる。

実際にお会いした秋山弁護士は、写真撮影にも気軽に応じてくださるし、本当に「同じ目線」で話をしてくださって、おごったところがまったくない。

秋山弁護士

大切にしている「シンギング・リン」という楽器を(後で調べたら、すごく高価な楽器で、何十万とするんですね)、側で見ていたわたしに「弾いてみてもいいですよ」とバチを貸してくださったり、すごく優しい。

何に対しても、本当に「こだわり」がまったくない感じ。

何かあっても、「だからどうだというんです?」と一言付け加えると、本当に何でもなくなるんです。

これは魔法の言葉ですね。

わたしも真似して、この魔法の言葉を使ってみました。

「頚椎ヘルニアで右腕が数ヶ月も、痛くて痛くて上に上がらない。…だからどうだというんです?」

「わたしには才能ないかも。何もやりたいことがみつからない。…だからどうだというんです?」

なんて言っているうちに、「だからどうだというんです?」と問われれば、「なんでもないです。」みたいな返答しかできない自分がいて、

「ああ、本当はそれほどたいしたことではないのかも」とすら思えてくるから不思議。

この言葉、本当にこだわりが取れて、争わない生き方を実践するためのきっかけとなる、「魔法の言葉」かも。

秋山弁護士は、2006年にジャムス・ヒーンさんのワークショップに参加してから、2年間で食べ物の質と量を減らしていったそうです。

やり方はどうやるんですか?と色々聞かれるのですが、いちいち情報を間に受けないこと。

でないと混乱しますから、自分でチェックすることが大切。

エッセンスは共通かもしれないが、形式的に受け止めてしまってはいけない場合もあります。

不食はライフスタイルであり、意識なんです。

断食のように、非日常的なことではなく、日常なんです。

そうそう、「秋山弁護士を不食に導いたジャスム・ヒーンさんは、毎日、ブルブルマシーンに乗って運動している!」という楽しいお話も聞けました。

不食になると、「食事に外へ出かける」とか「スーパーに食材を買いに行こう」という行動が日常からなくなるので、どうしても筋力が落ち気味になるのだそうです。

それを補うために、家で、ブルブルマシーンで筋力作りをするのだそうです。

それを見習って、秋山さんも、ブルブルマシーンを購入して、毎日10分乗っかっているそうです。

ダイエットに効くマシーンが、不食の人たちには筋力維持として使われているのを知り、ちょっとビックリ。

確かに、食事の必要がなければ、ランチに出て行かなくていいから、朝から晩までデスクで仕事をし続けることも、可能。

食材も醤油や味噌を買いに出かけることもないから、ほとんど買い物にも行く必要がない。

忘年会など、食事を共にする会合などにも関係がないわけで。

わたしたちの日常は、食事をするために、あっちに行ったり、こっちに行ったり。

それが「運動」にもなっているし、「気分転換」にもなっていたりします。

そう考えると、「食事をする」というものが、日常の行動の中で結構なウエイトを占めていることに今更ながら、気がついた。

食事が日常から消えて無くなると、一体、その時間何をすればいいのだろう?

そんな疑問に応えるかのように、会場の人が質問してくださいました。

「食事の時間は一種の暇つぶし的に自分はなっているのですが、秋山さんはどうやって、気分転換や暇つぶしをするんですか?」と。

夢中になればいいんですよ。

僕は弁護士の仕事もしていますし、コーヒーの焙煎をしたり、シンギング・リンを演奏したり、今はタオライアーという楽器を木を彫って手作りしているんです。

いろいろなことに興味を持って、夢中になっているので、暇つぶしなんてする必要がないんです。

皆さんも、夢中になれることをやるといいのではないかと思います。

食事をする時間が日常から消えたからと言っても、どうやら「退屈」する時間は秋山弁護士にはないようです。

わたしが、もし、不食になったら?

たくさんの時間を、一体何に使えばいいんだろう?

そんな疑問を、問いかけてゆくことで、「自由」に一歩近づけるのかもしれない。

争わない生き方を実践するための「魔法の言葉」も聞けて、すごくよかった。

また、機会があれば秋山弁護士にお会いしたいなぁ。

あ、秋山弁護士の不食の師であり、「圧倒的な愛の人」と言わしめた、ジャスム・ヒーンさんにもお会いしたいなぁ。

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